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2015年01月04日

来る2015年 

さて、昨日の続きです!

1995年からオーラソーマを日本に導入して以来2007年まで、実に右肩上がりで成長できたと思う右斜め上
色を探求する気持ち、色を生活に活かすというテーマは今でも変わらない。
しかしながら、個人的には天使だなんだという部分にはずっと違和感を持ち続け、もっと自然に生活に取り入れていくライフスタイルの提案がしたかった黒ハート

色と関わりのあるジュエリーや身に付ける物、バックや小物や水までも、色をテーマにした商品開発も行い、失敗もあったが、私が行うことをマイクブース氏もとても柔軟に受け入れてくれた。
彼と会社まで作ったバー

その後、マイクも同じ方向性だったのか、私がかねてから願っていたスキンケア商品の開発に着手した。
2009年のことだった。
何よりも嬉しかったことは、オーラソーマを勉強した人にではなく、一般のマーケットに色の力を取り入れたライフスタイルの提案ができることだったぴかぴか(新しい)

当然のことながら、競合他社が多いコスメ業界に切り込んでいくことは、容易いことではなかった。
大手百貨店やスパ、ホテルなどプレゼンを繰り返した。もう、一歩の所だったのに失恋

結局、オーラソーマ社は従来のオーラソーマを学んだ人達へのセミナー方式のマーケットを選んだ。

それでも尚、私は困難なことは分かっていたけれど、一般のマーケットで勝負したかったパンチ

そんな中、出会ったのがイギリスのコッツウオルズにある世界の5スターホテルのスパだけで展開している'ila'

丁度ilaも日本への展開、そして小売へと進出したいところだった。
また、パッケージもレッドからパープルに至までのカラフルなレンジ。(ここで色の意味とが合致する)
最初に想像した以上にilaは、オーガニックな素材を超え、心や精神までをケアするスキンケアブランドだった手(チョキ)

そして、2012年伊勢丹新宿店のビューティアポテカリのリモデルオープンと共に、日本上陸を果たした。
ここで、ひとつ私の夢が叶えられたような気がした演劇
いくつかの5スターホテルとのお取引も始まった。

ここで、立ちはだかったのが、ilaをとるかオーラソーマのコスメAEOSを取るかの選択が強いられた。
迷わず私の答えはilaだった。
困難な道だとは分かっていたが。

それからだ。
本当に困難だったのは。
人、資金すべてが困難を極めたがく〜(落胆した顔)
もっていたのは、信念のみ。
でも、会社は社長の趣味だけでは成り立たない。
そんな中、今も尚一緒に働いているメンバーは、限界にまで挑戦し続けてくれたと思う。

私自身、息子と母の問題も抱え、夢を追ってばかりもいられない状況に陥った。
だから、福岡に拠点を移したのも、半ばこの場から離れたいという思いも手伝ったのだと思う。
しかし、一流の百貨店、一流のホテルには、それに相応しい人達が働いている。なんでも一流はすごいが、東京はのトップはこれまたすごい。
世間の厳しさも含めて沢山のことを学ばせて頂いたことは、どんなに私の経験、肥やしとなったことか。

すこし福岡に帰って充電し、今までの経験を活かして私なりに何か社会に残せることをしようと決心した。
それが、2014年の初春だった。

そして1年が過ぎ、福岡を知るために、ボランティア、イベント、セミナーなどやってみた。
なにが、今までの私の半生を活かすために使えるのか?
この間、東京と福岡の行き来も頻繁にした。ilaを通じて色の講演も行った。

だがしかしスタッフとNetやSkypeなどで、コミュニケーションは容易に取れるものの、ふれあいや心のつながりは希薄になっていったと思う。ただ、彼らが自立の道を歩んでくれることを密かに願っていた

そんな時に、2013年までオーラソーマ社で製品にエネルギー調整をし、バタフライや海の生き物たちのエネルギーエッセンスを創っていたエリックペラムさんからの連絡が入った
オーラソーマを始めた当初からエリックさんとは時折接点があったのでよく知っていたが、純粋で変わった人だなーという位しか思っていなかった(本当にごめんなさい)。

そしてついに彼の心の優しさ美しさが、私を動かした

To be continued






posted by さっちゃん at 18:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月03日

2015年向かうところ

2015年明けましてお目でとうございます。
福岡は元旦、そして2日も雪でしたが、気持ちはとても清らかで穏やかな年明けを迎えることができました。
これも、一重に皆様にお支えいただいて今日を迎えられたのだと、しみじみ思えます。

今年は本気で新たな道を歩みます。
思い返せばとてもユニークで守られた半世紀だったと思います。

小さい頃から人と同じことをするのが好きではなかった。友達とつるむのもあまり好きではない(今は好き)ビール
勉強は好きでなかった。でも、赤いネクタイと碇のマークのついたセーラー服がかわいくて、ちょっと頑張って勉強して私立の中高一貫の学校に入った。丁度その時、12歳離れた姉がその学校の先生を義理の母にもつ夫と結婚し、後に校長先生になられたので、やりにくくてしようがなかった。(全く優等生ではなかったからな〜)

高校生になると、東京の大学に進学したくて、あの時だけはがむしゃらに勉強した〜本
卒業前の夏休み明けに、まさかが起こった。
父の突然の死もうやだ〜(悲しい顔)
でも、我が家は強〜い母のお陰で、何一つ変わらぬ生活が送れた。

希望通り東京の大学にも進学ができたが、そこで初めて劣等感や孤独感を感じた。
そんな気持ちの時だったからこそ、大学時代にとても大人しい男性と知り合って、卒業と同時に結婚してしまった。
本当に大人しい人だったから、今どうしても顔が思い出せないと皆に云うと、「うそでしょう〜」とよく言われるが、ホント!今日駅伝で青山学院が優勝したから、母が修君はどうしとるかね?と聞いたので思い出した。(彼は青学に通っていたから)
彼はUターン就職で名古屋の銀行にお勤めしていたが、私は平凡な毎日が3ヶ月で嫌になってしまった。
お料理教室も洋裁学校も通って彼のスーツまで作れるようになったが、これまた退屈になってしまった雨

その後大学時代の先生にお願いして予備校の先生になった。受験ブームだったから、お給料もよくなって彼の給料をとっくに抜いてしまったから、もっともっと何かをしたくなった。

ある朝、離婚してなにかしよ〜と思ったぴかぴか(新しい)
まず、実家に帰ろうと思ったが、出戻りの娘は恥ずかしいという時代で、母は福岡に戻るなと云われたから東京へ行った。
とりあえず、派遣会社に登録しアルバイトをした。

そんな時、その人の肌や目や髪の毛の色からどんな色が似合うかというカラーコーディネートというものが、日本に上陸したばかりだった。1970年代。私30前るんるん
時代もよかったが、そのお勉強をするのに100万円以上もぽーんとこのバカ娘に母は出してくれた。
これが、私の色との出会いとなる。

未だ日本には入ってきたばっかりだったので、これで生計を立てるなんて無理だと思ったが、丁度資生堂からお仕事の依頼が入りあまりできる人がいなかったので、それはそれは仕事をした。全国の百貨店の化粧品コーナーでカラー分析した。
本当にお客様には恵まれていた。
間もなく母が私に会社を後継させたいということになり、一端福岡に戻ったが、自分が望む仕事ではなかったため、どうしてもやるきになれなかった。建設業ですよ!

そして、また東京へ出た飛行機
今度は自分で貯めた資金で会社を興し、カラーコーディネートを業務とする株式会社イメージメーキングアカデミー。
でも、会社を興して数年もすると、自分に似合う色だけを分析するだけでは、物足りなくなった失恋

色は、もっと人の心を動かす何かがあるはず。
そんな模索をしている内に、オーラソーマと出会った。
とにかく、何かに突き動かされるかのようにイギリスへ向かった飛行機

その後、システムつくり、またそれを学んだ人達が活躍できる場所、ショップやスパなど出店もした。
一番多いときはスタッフが30名もいた。
大事に大胆に仕事をしていった。演劇でも、ほとんど思いつきというか、よく言えば直感に従った。

だがしかし、2007年をピークに色々なことが変わっていった。
青山通りに自分が理想としていたサロンオフィスもでき、次なる事業展開をやろうとしていた時に、ずっと一緒にやってきた一番のスタッフの結婚、出産と相次ぎ、スタッフが変わっていった。
色の世界を日常に取り入れることをモットーに、宝石や小物、化粧品へと業務を広げていった。
海外への何度も出向き、日本人ティーチャーやプラクティショナーを養成していった。
上手くいっているときは実にいろいろな人が寄ってきた。

今から思うともっと賢く先を先を考え手を打っていくべきだったかと(そんなことは、今でも私にはできないけどね)
オーラソーマもヴィッキー・ウオール女史が創った思いだけを崩さないように、教育システムをイギリス本校と一緒に創っていこうとしたが、なにか歯車が狂いだした右斜め下

その頃、私自身も養子を迎えシングルの時の様に海外へも行けなくなっていたし、子供を育てる喜びのようなものを感じていたときだったから、結構家庭優先だった。でも、まだ40代エネルギッシュだったパンチ

15年位経ってオーラソーマはもういっかなと思い始めていたが、マイクブース(現在の学長)氏の話を効くとすごいと思って、また頑張っていた。
でも、やはり前の様にはいかなかった。

カラーコーディネート時代の一番弟子だった人を、その頃オーラソーマのティーチャーに育て上げ、夫も参加し暖簾を取られたかのように、彼らは活動を広げていったが、私は「まあ、いっか」と位しか思っていなかった。
だって、私には信念がはっきりしていたから。
けれど、その人達の脱税問題、長年やりたいと思っていた色をスキンケアに取り入れたブランドがオーラソーマから発表されたにも関われず、マーケティングプランの相違から私は手を引くことに決めた。そしてオーラソーマのアカデミーであるASIACT Japanの代表の降板と続く。

時代は完璧に変わった。
今でもオーラソーマは大切にしたいと心から思っている人達が多い中、オーラソーマをシンプルにするのではなく、ビジネス第一としイージーにしようとしているかのような今の動きがどうも気になる。

その後、私はオーラソーマのベーシックな活動を持続しながら、オーガニックコスメの最高級ブランドのilaの輸入業、そして福岡での母との生活、息子の独立、エリックスエッセンスの日本導入へとつながっていくのだが、それが2015年、信念を新たに持ち、これからの私が出発する全てのプロセスであったとはひらめき

この私の2015年からの思いは、明日へと持ち越すことにしよう。
よかったら、明日も読んでくださいね。まだまだ面白い登場人物が出てくる、出てくることハートたち(複数ハート)

posted by さっちゃん at 17:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年向かうところ

2015年明けましてお目でとうございます。
福岡は元旦、そして2日も雪でしたが、気持ちはとても清らかで穏やかな年明けを迎えることができました。
これも、一重に皆様にお支えいただいて今日を迎えられたのだと、しみじみ思えます。

今年は本気で新たな道を歩みます。
思い返せばとてもユニークで守られた半世紀だったと思います。

小さい頃から人と同じことをするのが好きではなかった。友達とつるむのもあまり好きではない(今は好き)ビール
勉強は好きでなかった。でも、赤いネクタイと碇のマークのついたセーラー服がかわいくて、ちょっと頑張って勉強して私立の中高一貫の学校に入った。丁度その時、12歳離れた姉がその学校の先生を義理の母にもつ夫と結婚し、後に校長先生になられたので、やりにくくてしようがなかった。(全く優等生ではなかったからな〜)

高校生になると、東京の大学に進学したくて、あの時だけはがむしゃらに勉強した〜本
卒業前の夏休み明けに、まさかが起こった。
父の突然の死もうやだ〜(悲しい顔)
でも、我が家は強〜い母のお陰で、何一つ変わらぬ生活が送れた。

希望通り東京の大学にも進学ができたが、そこで初めて劣等感や孤独感を感じた。
そんな気持ちの時だったからこそ、大学時代にとても大人しい男性と知り合って、卒業と同時に結婚してしまった。
本当に大人しい人だったから、今どうしても顔が思い出せないと皆に云うと、「うそでしょう〜」とよく言われるが、ホント!今日駅伝で青山学院が優勝したから、母が修君はどうしとるかね?と聞いたので思い出した。(彼は青学に通っていたから)
彼はUターン就職で名古屋の銀行にお勤めしていたが、私は平凡な毎日が3ヶ月で嫌になってしまった。
お料理教室も洋裁学校も通って彼のスーツまで作れるようになったが、これまた退屈になってしまった雨

その後大学時代の先生にお願いして予備校の先生になった。受験ブームだったから、お給料もよくなって彼の給料をとっくに抜いてしまったから、もっともっと何かをしたくなった。

ある朝、離婚してなにかしよ〜と思ったぴかぴか(新しい)
まず、実家に帰ろうと思ったが、出戻りの娘は恥ずかしいという時代で、母は福岡に戻るなと云われたから東京へ行った。
とりあえず、派遣会社に登録しアルバイトをした。

そんな時、その人の肌や目や髪の毛の色からどんな色が似合うかというカラーコーディネートというものが、日本に上陸したばかりだった。1970年代。私30前るんるん
時代もよかったが、そのお勉強をするのに100万円以上もぽーんとこのバカ娘に母は出してくれた。
これが、私の色との出会いとなる。

未だ日本には入ってきたばっかりだったので、これで生計を立てるなんて無理だと思ったが、丁度資生堂からお仕事の依頼が入りあまりできる人がいなかったので、それはそれは仕事をした。全国の百貨店の化粧品コーナーでカラー分析した。
本当にお客様には恵まれていた。
間もなく母が私に会社を後継させたいということになり、一端福岡に戻ったが、自分が望む仕事ではなかったため、どうしてもやるきになれなかった。建設業ですよ!

そして、また東京へ出た飛行機
今度は自分で貯めた資金で会社を興し、カラーコーディネートを業務とする株式会社イメージメーキングアカデミー。
でも、会社を興して数年もすると、自分に似合う色だけを分析するだけでは、物足りなくなった失恋

色は、もっと人の心を動かす何かがあるはず。
そんな模索をしている内に、オーラソーマと出会った。
とにかく、何かに突き動かされるかのようにイギリスへ向かった飛行機

その後、システムつくり、またそれを学んだ人達が活躍できる場所、ショップやスパなど出店もした。
一番多いときはスタッフが30名もいた。
大事に大胆に仕事をしていった。演劇でも、ほとんど思いつきというか、よく言えば直感に従った。

だがしかし、2007年をピークに色々なことが変わっていった。
青山通りに自分が理想としていたサロンオフィスもでき、次なる事業展開をやろうとしていた時に、ずっと一緒にやってきた一番のスタッフの結婚、出産と相次ぎ、スタッフが変わっていった。
色の世界を日常に取り入れることをモットーに、宝石や小物、化粧品へと業務を広げていった。
海外への何度も出向き、日本人ティーチャーやプラクティショナーを養成していった。
上手くいっているときは実にいろいろな人が寄ってきた。

今から思うともっと賢く先を先を考え手を打っていくべきだったかと(そんなことは、今でも私にはできないけどね)
オーラソーマもヴィッキー・ウオール女史が創った思いだけを崩さないように、教育システムをイギリス本校と一緒に創っていこうとしたが、なにか歯車が狂いだした右斜め下

その頃、私自身も養子を迎えシングルの時の様に海外へも行けなくなっていたし、子供を育てる喜びのようなものを感じていたときだったから、結構家庭優先だった。でも、まだ40代エネルギッシュだったパンチ

15年位経ってオーラソーマはもういっかなと思い始めていたが、マイクブース(現在の学長)氏の話を効くとすごいと思って、また頑張っていた。
でも、やはり前の様にはいかなかった。

カラーコーディネート時代の一番弟子だった人を、その頃オーラソーマのティーチャーに育て上げ、夫も参加し暖簾を取られたかのように、彼らは活動を広げていったが、私は「まあ、いっか」と位しか思っていなかった。
だって、私には信念がはっきりしていたから。
けれど、その人達の脱税問題、長年やりたいと思っていた色をスキンケアに取り入れたブランドがオーラソーマから発表されたにも関われず、マーケティングプランの相違から私は手を引くことに決めた。そしてオーラソーマのアカデミーであるASIACT Japanの代表の降板と続く。

時代は完璧に変わった。
今でもオーラソーマは大切にしたいと心から思っている人達が多い中、オーラソーマをシンプルにするのではなく、ビジネス第一としイージーにしようとしているかのような今の動きがどうも気になる。

その後、私はオーラソーマのベーシックな活動を持続しながら、オーガニックコスメの最高級ブランドのilaの輸入業、そして福岡での母との生活、息子の独立、エリックスエッセンスの日本導入へとつながっていくのだが、それが2015年、信念を新たに持ち、これからの私が出発する全てのプロセスであったとはひらめき

この私の2015年からの思いは、明日へと持ち越すことにしよう。
よかったら、明日も読んでくださいね。まだまだ面白い登場人物が出てくる、出てくることハートたち(複数ハート)

posted by さっちゃん at 17:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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