1995年からオーラソーマを日本に導入して以来2007年まで、実に右肩上がりで成長できたと思う

色を探求する気持ち、色を生活に活かすというテーマは今でも変わらない。
しかしながら、個人的には天使だなんだという部分にはずっと違和感を持ち続け、もっと自然に生活に取り入れていくライフスタイルの提案がしたかった

色と関わりのあるジュエリーや身に付ける物、バックや小物や水までも、色をテーマにした商品開発も行い、失敗もあったが、私が行うことをマイクブース氏もとても柔軟に受け入れてくれた。
彼と会社まで作った

その後、マイクも同じ方向性だったのか、私がかねてから願っていたスキンケア商品の開発に着手した。
2009年のことだった。
何よりも嬉しかったことは、オーラソーマを勉強した人にではなく、一般のマーケットに色の力を取り入れたライフスタイルの提案ができることだった

当然のことながら、競合他社が多いコスメ業界に切り込んでいくことは、容易いことではなかった。
大手百貨店やスパ、ホテルなどプレゼンを繰り返した。もう、一歩の所だったのに

結局、オーラソーマ社は従来のオーラソーマを学んだ人達へのセミナー方式のマーケットを選んだ。
それでも尚、私は困難なことは分かっていたけれど、一般のマーケットで勝負したかった

そんな中、出会ったのがイギリスのコッツウオルズにある世界の5スターホテルのスパだけで展開している'ila'
丁度ilaも日本への展開、そして小売へと進出したいところだった。
また、パッケージもレッドからパープルに至までのカラフルなレンジ。(ここで色の意味とが合致する)
最初に想像した以上にilaは、オーガニックな素材を超え、心や精神までをケアするスキンケアブランドだった

そして、2012年伊勢丹新宿店のビューティアポテカリのリモデルオープンと共に、日本上陸を果たした。
ここで、ひとつ私の夢が叶えられたような気がした

いくつかの5スターホテルとのお取引も始まった。
ここで、立ちはだかったのが、ilaをとるかオーラソーマのコスメAEOSを取るかの選択が強いられた。
迷わず私の答えはilaだった。
困難な道だとは分かっていたが。
それからだ。
本当に困難だったのは。
人、資金すべてが困難を極めた

もっていたのは、信念のみ。
でも、会社は社長の趣味だけでは成り立たない。
そんな中、今も尚一緒に働いているメンバーは、限界にまで挑戦し続けてくれたと思う。
私自身、息子と母の問題も抱え、夢を追ってばかりもいられない状況に陥った。
だから、福岡に拠点を移したのも、半ばこの場から離れたいという思いも手伝ったのだと思う。
しかし、一流の百貨店、一流のホテルには、それに相応しい人達が働いている。なんでも一流はすごいが、東京はのトップはこれまたすごい。
世間の厳しさも含めて沢山のことを学ばせて頂いたことは、どんなに私の経験、肥やしとなったことか。
すこし福岡に帰って充電し、今までの経験を活かして私なりに何か社会に残せることをしようと決心した。
それが、2014年の初春だった。
そして1年が過ぎ、福岡を知るために、ボランティア、イベント、セミナーなどやってみた。
なにが、今までの私の半生を活かすために使えるのか?
この間、東京と福岡の行き来も頻繁にした。ilaを通じて色の講演も行った。
だがしかしスタッフとNetやSkypeなどで、コミュニケーションは容易に取れるものの、ふれあいや心のつながりは希薄になっていったと思う。ただ、彼らが自立の道を歩んでくれることを密かに願っていた

そんな時に、2013年までオーラソーマ社で製品にエネルギー調整をし、バタフライや海の生き物たちのエネルギーエッセンスを創っていたエリックペラムさんからの連絡が入った

オーラソーマを始めた当初からエリックさんとは時折接点があったのでよく知っていたが、純粋で変わった人だなーという位しか思っていなかった(本当にごめんなさい)。
そしてついに彼の心の優しさ美しさが、私を動かした

To be continued
